芥箱

日々を腹いせに晒す。

今更ながら

信長協奏曲の映画を観た。

昨今のレンタルビデオ屋の値段は良心的であることは取り立てて語るべくもない。

 

個人的な意見であることを強調しつつ、私は小栗旬が昔から少し苦手である。

嫌いとかキモいとかではない。決してない。

彼は良いお父さんである。

 

ことを踏まえて私の肌には合わない。

故にドラマ放映も敬遠していたのだが、家族は熱心に見ていたので流し見程度には筋を把握。

した上で映画をまた流し見。

 

気になったのは山田孝之演じる豊臣秀吉である。

復讐など意味がない。

何も産まない。

未来に目を向けろ。

 

等は所謂ヒーローの常套句である。

故に、ヒーローにこれを説かれる奴と言うのは、十中八九悪役。

今回は豊臣秀吉である。

 

が、本当にそうなんだろうか。

私があの場の豊臣秀吉だったなら、

ならお前も俺と同じ目に合ってみろ

その上で、同じことを言ってみろ

の念は否めない。

 

豊臣秀吉にとって、生まれ育った村と家族が全てだったのだ。

共に死ねたらどんなに楽だったかと思うだろうか。

でも生きてこれたのは復讐のお陰に他ならない。

復讐をする、という目的だけを生きる糧にして生きてきた。

 

 

自殺者を非難するのなら、生きてこそ意味があると声高に叫ぶヒーローたちは、

 

復讐しなければとっくに死んでいただろう人が誉められた理由でないにしろ生きたんだから

 

復讐は憎しみしか生まないなんて嘘だ。

信長死んだ後豊臣秀吉はどういう風に生きたのかなと想像すると、

 

憎しみ以上のものを、その最後にはもたらしたのではないだろうか。

 

 

生きるって不思議だ。

だから一個人であるヒーローの言葉が絶対正義である必要はこの世の何処にもない