寂しいと面倒臭いの狭間。
ネットは誰のためにあるのか。
みんなとは違うやつを貶めて讃えるためにあるのか。
独りぼっちの人に寄り添うためにあるのか。
後者であれば平和な世界。
でもひとりぼっちの人は人に甘えてしまっているからひとりぼっちなのかもしれない。
寄りかかっていては関係は成立しない。
わかっているけど寄りかからなくてはならないひともいる。
寄りかかって良いひともいる。
寂しいと面倒臭いの狭間。
静寂不足。
私の周りは常に煩い。
無駄な喧騒に満ちている。
人間関係。
円滑に運営するための呵責。
うまく出来ない自分への自責の念。
いつも頭の中は便ゝと煩い。
静かなところへいきたい。
蝿や蚊と同じく五月蝿い。
平穏と安定を望む。
無駄な音を黙らせ、鳴り響く反響を遮断し、静かなところへいきたい。
寂滅を望む。
この世は私には息苦しい。
消えないイメージ
頭がいたい
息が出来ない
あまりに呼吸が苦しくて、肋骨の中の心臓が消えて無くなってしまうイメージが拭えない
鏡の顔が人間の顔に見えない。
失った日々はもう戻らぬ
新たにきたる日々もどこか新鮮味には欠け
使い古されたような色した新しき日々
配給の列に並んではつぎから次へと流れてく
この手をすり抜けていくそこに僕は何を見つけた?
何を得た?
何も掴もうとしなかった手に何か残せるわけもなく
すり抜けていったものの影ばかり眺めては泣く
窪田君
ラストコップのくぼたん可愛かったなぁ。
ご飯食べるシーンとかは宝物ものである。
なしてあぁ小動物感があるのだろう、彼は。
すきだ。そして、すきだ。
連ドラが至極楽しみである。
予約していたmen's nonnoが届いた。
リゼ様は何時でも麗しい。あのえろい体の一部になれるのなら喰われても悔いはない。むしろ得しかない。
でも思ったよりくぼたんの特設ページが少なくて肩透かしであった。
おまけのワックスは弟へ回す。こういうときに便利である。
だが写真のくぼたんはもう既に金木君スイッチが入っているようで、楽しみでしかない。
ヤモリの拷問シーンなぞ私にとってはご褒美でしかない。ぜひ、原作に忠実に再現していただきたいものである。
余談ではあるが、がんちゃんのグラビアページにも眼を奪われた。
がんちゃんも至極可愛かったのである。
G
Gがでた。
Gがでた。
今年の夏はもう4匹めである。
かなりのハイペース。
風呂場に現れてフマキラー片手に冷や汗でびしゃびしゃになってきたのである。
消えた辺りに噴射してその後がさ、ごそ、と物音を聞いたきりだが、死んだものと思いたい。前も直噴射したわけではないがフマキラーを吸引したGが時間差で死んでいた例もあるので今回も死んでいると思いたい。
死体を見るまで安心はできないが死体を探す勇気もない。
虫は全般苦手である。全部である。
この世から消えてしまえと願わない日はない。
大体同じ人間でさえ対峙するのが怖いのに、虫なんて人ならざるもの、貞子以上に怖い。
8月にバルサンをたいてからというもの出現したGは4匹……
効いてへんやないかい。
ハッカ油水も噴射しているのになぜだ。
母のバニラの香水のせいか。
だがただでさえ更年期を患い逆ギレの権化と化している母に
その香水がGを惹き付けるから散布を中止してくれ。
と発言することは困難。
Gも恐怖だが母のイカズチも恐怖である。